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ジャック・マリン (バスケットボール) : ミニ英和和英辞書
ジャック・マリン (バスケットボール)[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

ジャック・マリン (バスケットボール) : ウィキペディア日本語版
ジャック・マリン (バスケットボール)[ちょうおん]

ジャック・マリンJack Marin, 1944年10月12日 - )はアメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAで活躍した元バスケットボール選手。ペンシルベニア州、シャロン出身。1970年代に黄金期を迎えたボルチモア・ブレッツ(現ワシントン・ウィザーズ)隆盛の礎を築いた選手の一人。
デューク大学卒業後、1966年のNBAドラフトで1巡目全体5位で指名を受けてボルチモア・ブレッツに入団。アール・モンローウェス・アンセルドらと共にブレッツを支え、1968-69シーズンには57勝をあげる躍進を見せる。この時代ブレッツはプレーオフで毎年のようにニューヨーク・ニックスと対決し、ブレッツ対ニックスは当時を代表するライバル関係の一つだった。マリン個人としても同じデューク大出身のビル・ブラッドリーとの同門対決が注目を集めた。1970-71シーズンにはそのニックスを破ってNBAファイナルに進出するも、ミルウォーキー・バックスの前に敗れ、優勝は叶わなかった。
マリンは1971-72シーズンに自己最高となる22.3得点6.8リバウンドを記録し、フリースロー成功率はリーグ1位となる89.4%を記録、オールスターにも初出場したが、このシーズンを最後に6シーズン過ごしたブレッツを去ることになった。ブレッツはトレードでヒューストン・ロケッツからエルヴィン・ヘイズを獲得。ヘイズの獲得は後の1978年の優勝の布石となり、ブレッツ(ウィザーズ)史上最も重要なトレードとなったが、マリンはトレード要員としてロケッツに移籍した。
マリンはその後バッファロー・ブレーブスシカゴ・ブルズを渡り歩き、1976-77シーズンを最後に現役から引退した。NBA通算成績は11シーズン849試合の出場で、12,541得点4,405リバウンド、平均14.8得点5.2リバウンド、フリースロー成功率は84.3%だった。
引退後はデューク法律学校に入学し、法学の博士号を取得して卒業。主にスポーツ関係を取り扱う法律事務所の共同経営者となり、全米バスケットボール退職者協会の顧問弁護士も務めた。
;主な業績
*NBAオールスターゲーム出場:1972年, 1973年
*フリースロー成功率1位:1972年
*ノースカロライナ・スポーツ殿堂
*ペンシルベニア・スポーツ殿堂
*デューク大学スポーツ殿堂
==外部リンク==

* Basketball-Reference.com
* Hoopedia





抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ジャック・マリン (バスケットボール)」の詳細全文を読む




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